人間を二百人ほど軽く飲み込める応接間は、やはり磨きあげられた大理石の床と柱に支えられ、微かに注ぐ月明かりをかきけす燭台の灯が、すらりと長い足を投げ出し、天井を仰ぐように目を閉じた、王子の長い影を掘り出していた。
来ては去り、来ては去りした女たちの、強い香水の残り香が彼を名残惜し気に舐め、薔薇の咲いたような唇から、ただ漏れるのは深い溜め息。

「如何でしたか」

堅い大理石と、堅い靴底の素材がぶつかりあって、月夜にふさわしい冷たい執事の足音に身体が目を醒ます。背もたれに体重を預けたままの彼を、その不自然なまでに美しいかんばせを、上から覗き込む、無礼を許すも許されるも、彼と彼の間だけだ。

「上物揃いで胸やけがする」

傍らに立つ金の燭台にともる赤い火が、白く張りのある頬に彼の長い睫毛の影を刻む。女たちの残り香を祓うように首をふり、蜂蜜色の髪が揺れて、ようやく彼は立ち上がった。

「それは残念でしたね。お疲れでしょう、お早くおやすみください」

踵を揃え、凛と伸ばした背中を腰だけ曲げ、手袋をした手を胸にあて、上げた顔に安堵する。腹に何を抱えているか知らないが、しわがれた声も、場に合わせて色を返る目も、仕込んだ男。どぎつい香水に自身すらを惑わせながら、王座をねだる女どもより余程自然で余程信頼できた。

「そうだな、休もう」

歩きながらネクタイを緩め、執事が手をさしだすと、緩めた手に勢いを付けて首を解放し、歩きながら、それでもぶれない確かな手に、ほどいたネクタイを乗せた。
見合いは深夜に及び、時間が時間だから無礼になると、断りをいれたところで引き下がる彼女達ではなかった。その根性自体が既に男の心を閉ざさせるのだとも、優しく笑えば笑うほど、彼と彼女の温度差が広がるのだとも、気付かない。愉快過ぎて笑みが深まる。

なんとおかしなおかしなピエロ。

執事以外の召し使いや、夜勤以外の兵達には、気にせず先に休むように伝えた。従順な彼等は素直に休んだと見えて、静まりかえった城に響くのは、二人分の足音ばかり。

部屋に辿り着いた王子は、黙っていれば床につくまでついてくるだろう執事にも休めと告げ、下げられた頭に労いの言葉をかけると、一人、部屋に入った。
一人には広すぎる部屋には、人の気配を感じないのは、プロの手により整えられるからだけだろうと言い聞かせずとも寂しさなど感じない。
着替えることすら煩わしいと、そのままベッドに倒れこんだ。鈍いスプリングの音が夜の澄んだ空気を震わせて、思いの外響いた音に、また安堵。
うつ伏せた体を、スプリングを遊ぶようにわざと体重をかけながら、窓の側に向けると、真っ黒な夜空にくっきり浮かぶ月がまぶしい。
疲労を溜め込んだ体は、月の優しい冷たさに包まれながら、睡魔に誘われるまま、ずるりずるりと闇の底へと沈んで行った。

「あら、あなただったの」

鼓膜を舐める艶やかな声。瞼の裏、闇に酷く良く似合うその声は、確かにあの声だ。声はするが、気配がない。夢現に空耳かと、頑に閉じようとする瞼をあけると、そこに浮かぶように闇を切り取って、凛と立った女が一人。
闇と同じ真っ黒のワンピースに、真っ黒の髪が腰ほどまであって真っ直ぐ月明かりに濡れていた。髪とワンピースの合間を縫って、覗く肌は美しかった。白く陶器のように目に染みて、同じく美しい白く弾力のある王子の肌と比べると、決して劣らない。それはまるで、まるで死のようだった。
その立ち姿は闇に包まれているにも関わらず、自身も黒に包まれているにもかかわらず、くっきり浮かびあがり、気配はないままその存在感を知らしめていた。
あまりに非現実的なその景色に、警戒も忘れた王子の、まだ半分まどろみに酔う青い瞳が見開かれたのは、女がスプリングを軋ませながら、男の上にかぶさったから。
一気に覚醒した男の意識が体の隅から隅まで行き渡り、体を起こすと女の手に両肩を押し返され、再び寝具に溺れた。
何者だと叫ぼうとしたその口に、女は素早く布を詰めた。仄かに甘く香るのは、安い香水の安い花の香り。
「駄、目、よ、坊や」

肩を押さえ付ける腕は確かに可憐な女性らしく細いのに、男の体を清潔なシーツに縫い止めてはなさない。細身とは言え、彼も男だ。体を捻り、両手を上げようとするが、肩を押さえられては上手くいかない。間近にある女は、真っ黒の髪を襟足あたりで一つに結い、月明かりを微かに浴びて、浮かぶ白い肌に烏の羽を濡らしたような黒い瞳、血を舐めたような赤い唇。通った鼻は上品に収まり、黒い瞳は細められて、赤い唇は両端が上がっていた。
男の青い瞳がいくら睨み返しても、ますます笑みを深めるばかり。

「ききたそうね。私が何か」

男は頷くことすら悔しくて、ただつめられた布を噛み締めながら、上げようとした両手が、素早く肩から離した女の手に捕まった。なんと鮮やかな手付き。男の両手を流れるように片手でまとめ、頭の上に押さえ付ける。

「そういう活きの良い子、好きよ」

喉を鳴らすように笑いながら、黒い目が青い目を真っ直ぐ見返した。見つめるのでも睨むのでもなく、ちょうど獲物をどこから喰らってやろうかと、舌舐めずりする肉食獣の目。

「お城の方に雇われたのよ。王子の情緒を育てて下さい、ですって」

闇に酷く似合う声は、とうに捕えられた鼓膜を擽り、怒りとも羞恥とも嫌悪ともつかぬ、胸にわだかまる溶岩が王子の白い顔を染めていく。美しい王子は、顔を赤らめるにも美しく、まるで画家が描くように、赤くなるべき部分だけが都合良く染まっていく。月明かりに濡れた男を濡れ羽色の瞳に焼き付けながら、女は黒い髪を結い止めていた結い紐を解いた。
女は解いた結い紐で、髪ではなく王子の手を結んだ。王子の手を王子が痛みにうめきを上げるも構わず引っ張って、豪華なベッドの繊細に堀抜かれた文様に紐を通し、王子の手をベッドに固定した。王子はすかさず紐をねじ切るべく腕を上げようとしたが、幅の広い紐は存外丈夫でかなわなかった。
王子の青い目が睨みつけると、女はその瞳を塞ぐように眼球に直に口付けを降らせる。布を詰め込まれ音を発することができない赤い唇を冷たい指先で擽り、輪郭にそって顔の形を闇から掘り出す。
闇にも鮮やかな唇を王子の耳に付けた。彼女の鼻孔を、香水を嫌う王子の生の肌の匂いが擽った。赤子独特の甘い匂いでも、香水独特の人工的な匂いでもない、女たちの残り香に隠れるように、広葉樹林の青い香り。

「言いたいことがあるなら、お口でいってくれなきゃわからないわぁ」

女の声は、あまりに甘く、耳たぶを通して頭蓋骨を擽り、過敏な脳を揺らす。男はめまいを覚えた。
声をつむいだ唇が、白い耳を柔らかく噛んで、唇に捕えたまま肌と比べて酷く熱い舌先が耳朶の輪郭をなぜた。王子の体が小さく跳ねる。
耳をくわえたまま、女はその細い指で、王子が身にまとう上着の、酷く繊細な模様を刻まれたボタンを一つ一つ、外していった。
次第に露になる王子の体は、一流の彫刻師が掘り出したがごとく、くっきり浮かんだ鎖骨、無駄のない滑らかな筋肉の隆起、を覆う白い肌の上、女ですら望めない程の、甘い桜色をした乳首が両胸を飾る。女が喉仏を震わせて、呼吸や笑いを繰り返す度、王子の露になった筋肉がひくひくとひきつった。

「耳、弱いのねぇ。かわいい子」

女の言葉に王子が女を睨んだが、熱を孕んだその瞳、迫力には幾分欠けた。しかしそこに男がいたなら、その道へと目覚めさせたに違いない。
女は実に実に楽しそうに目を細め、王子の足の間に、見事な曲線を描く太股をねじこみ、密着させた。過敏な箇所を微かな、しかし確かな刺激が襲って、彼の体はまた震えた。
女の指が白い皮膚に包まれた王子の中身を探るかの如く、顎のしたから喉仏、鎖骨、胸筋、掌で頂きの飾りをおしつぶしながら、腹筋をなぞり、たどり着いた臍を赤い唇が愛でた。
王子の男が熱を増し、芯が固まる様が、女の足に直に伝わった。王子は口内を支配する布を噛んだが、その唇から唾液が流れただった。
「ぼうや、敏感なのね。女性経験は?」

男は痛む手首、痛む肩に逆らい無理矢理首を起こして女を睨みつけた。むろん、水を湛えた瞳を、女は見返したけれど、落ちた涙を拭わなかった。

「そう」

それだけ、溜め息のように呟いて、王子を寝具へ返すべく、白くニキビ一つない額に唇を付け、不自然な姿勢に悲鳴を上げていた彼の頭はいとも容易くシーツへ沈む。


「じゃあ、ねえ」

女は男の鳩尾に両肘をついて、苦しい圧迫感に眉根を寄せる彼を見下すように顎を手の甲に乗せ、微笑。

「面白いコト、教えてあげる」

鳩尾から圧迫感が消えた。代わり、掌が吸い付くように男の腹筋をなぞり、次第に上ヘと迫り上がる。軈て細い指が王子の胸筋へとたどり着いた。桜の花びらを埋め込んだようなそこを、指の腹で摘み、こねる。始め女を睨むばかりだった彼の体、幾らか赤く染まったそこに爪を立てられると、弾かれたように背中を反らせた。

「あらあら、才能あるじゃない」

女は片手の指の腹で赤く熟れた突起をこね潰しながら、白い彫刻のような胸に顔を沈めた。胸に触れる唇は、弾力に富み、男の胸に吸い付いた。片割れに取り残され、熟れ残った桜、強く吸い上げるとまた男の体がしなった。

さながら陸に揚げられた人魚の如く。

王子の肌から神経へ、脊髄、脳へ、伝わる痺は酷く甘い。電流は神経系を伝って熱を孕み、それは全身を染めながら一点へと流れ込む。女は激流の源泉へ刺激を与え続け、さらに濁流を塞き止めるように、王子の自身に触れる太股をぐいと押しつけた。
ギシギシと不自然に軋む音、王子の体が自由を求めて腕を振り回していた。しかし抵抗叶わず、留守の女の手に肘を押さえられれば、もう動けない。しかし痛みか甘味か判断しかねるまでの刺激の激流が、そうでありながら意識を闇に落とすには足りず、解放を求めて腰が揺れた。女が男にねだるように、覆い被さり自由を奪う女に、刺激の源を注ぎ続ける女に、向けて、腰が、揺れる。
男の青い瞳からとめどなく涙が流れては落ちた。それは輪郭をたどって熱を孕み赤くなった耳をたどり、シーツに広がる蜂蜜を溢したような彼の髪に落ちた。
男の腰を揺れに合わせて軋むスプリング音。紛れず闇を切り裂くぱたり、水の音。それは熱に溶けかけた男の意識ばかりを引きずり戻し、闇に紛れきれない感情の激流。羞恥、怒り、嫌悪、意識ばかりが冴えていき、代わり刺激が明確になる。
声すら十分に発することのできない白く滑らかな体に、蓄積されていく快感。もはや苦痛とすら違えてしまいそうなほどの。
女が男の熱を受ける膝を揺らし、さらなる刺激を注ぎ込むと、男の喉がアーチを描き、露になった喉仏、魚よりも滑らかに弾ける体は、悲鳴のようだ。
胸から顔を上げた。桜に残る唾液が空気に触れて、冷たさを感じ、また甘い電流が流れた。


女が男の自身を布から解放しないまま、男の自身を潰すように、しかし確実に刺激を抑えて膝を使う。
布を詰め込まれた喉から、苦しい声が溢れおち、女は再び胸に喰らい付いた。
熟れきった乳首を強くすいあげ、噛むのと同時に片割れの乳首を爪で弾き、王子の熱を溜め込んだそこを膝で攻めた。

王子は背中を大きくそらせ、それはそれは艶やかなアーチ。月に捧げるように体を跳ねさせ喉を反らし、果てた。
そのまま白く乱れたシーツに沈み、意識すら白へと手放していった。




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