紅雪が降る国の王様は

紅雪が降る日にお生まれに

紅雪が降る日に即位され

生まれたときから


御狂乱





[紅雪の降る国]






膝下まですっぽり覆ってしまうほどの雪を慣れた足取りで踏みながら、一人の少年が小さく溜め息をついた。


「まいったな」


口から出た言葉は、冷たい空気にさらされて、淡い白になって、消えた。

空を見上げると、今にも落ちて来そうな重い雲から大きな白い結晶が降りてくる。

少年は寒さのあまり白くなってしまった手を、薄いコートのポケットに突っ込んで、せめて体を動かそうと、痛む足を大袈裟に上げて下ろして前へ進む。
後方でシャッターを落とす音が聞こえた。
振り返ると、次々と錆色のシャッターが降りてくるのが見えた。一年のほとんどを雪が占めるこの国で、真冬と称される今、雪が降り始めると止むことはない。
「まいったなぁ」

二度目の台詞を力無くこぼした。
固まった顔の筋肉を精一杯動かし、顔をしかめる。
彼は仕事を探していた。
しかし、実年齢より幼く見える容姿のためか、それともよほど頼りない体つきをしているのか、よほどふぬけた顔つきなのか、行く先々で断られた。しかし、下り始めた景気の中、身元も知れない少年を雇うほどの余裕がないのは彼自身よく知っていた。
痺れた顔に雪が打ち付けられ、慌てて建物と建物に挟まれた、風も気付かない細い路地に逃げ込む。
「まいった…。風邪でもひいたらどうしよう」
凍てついた石の壁に背中を預けて直ぐにやめた。まるで背中が張り付きそうだったから。
風から逃れ、筋肉まで凍ってしまわぬように足踏みをを小刻に繰り返す。
雪のせいばかりではない。灰色に霞がかったこの国は、連なる高い山々の高位に位置する僅かな平地で、唯一鉄鋼資源にばかりめぐまれた。工業は大いに栄えたが、降雪の国、望みなどしなくても閉ざされた環境にあるため、工業以外の産業、特に医療に関しては無いのと同じ。
マフラーを赤みがかった鼻の上まで引き上げて、ふと足元に視線を落とした。そこに落ちていたのは一枚の紙。
雪の下に埋まりかけたその上に、『募集』の二文字を見つけて反射的に広いあげた。
上質な厚手の羊皮紙のうえに、流れるような美しい文字列。

『王様の召使い募集

資格の有無不問
男女、年齢不問

締め切りはこの用紙が完全に回収されるまで』

冷たさすら感じなくなった手に神経を集中させて文字を追う。
唇から失われた血液が落ちたかのように、最後の一行だけ、赤いインクで書かれていた。

『神経に異常をきたす恐れ有り。了承願う。』


少年は首を傾げた。
いつのまにか忘れた足踏み。
吐く息だけが雪より白い。
手の込んだ悪戯だろうか。それにしては用紙が上質すぎた。押された王家の紋章が精密すぎた。


口の筋肉も凍り始めたころ

「そうか、今の王様は、御狂乱って噂の…」


赤い雪が降った。
血のように赤い雪が。
王様がお生まれになった日も、即位された日ですらも。
それは王様が呪われた狂乱の王だからだと、誰かが言った。やがてそれは流れに流れ、子供が言葉を覚える以上の常識になった。


少年は頭を降った。頭にいくらか積んだ雪が落ちて、痺れににた痛みが走った。
「ただの噂だ」

それ以上に仕事が欲しかった。

空を仰ぐ。
まるで誘うように雪が弱まっていた。
冷たくなった足を叩いて目覚めさせ、防風場所を抜け出した。風もいくらか弱まっている。
狭い国だ。人の足で十分届く距離に城はある。さくさくと氷の粒を踏み固め、一人、城を目指した。

城壁は石のブロックが積み上げられ、首が痛くなるほど見上げると、ようやく電気鉄線が張られた頂上が見えた。
城門は重苦しい黒い鉄の扉で塞がれ、堅い鎧の下に強靭な体を隠した男が二人、立っていた。
冷たい空気に肺が痛むのを堪えて、大きく吸って吐き、城門との距離を縮める。
門番は同時に少年を捕えた。
鋭い眼光に足が縫いつけられたように止まる。拳を握ろうとしたが、指に力が入らなかった。
「男、何用だ」
野太い声に負けじと、もう一歩。
「これを見ました」
先ほど拾った募集用紙を差し出す。門番はまじまじとそれを見て、少年を見て、もう一人の門番と視線を交した。
「名は?」
「光と言います」
屈強な二人の男は互いに顔を見合って頷き、鉄門ではなく、その隣の石積の壁を押した。そこが入口だった。
入れともいわず、中と外、境界線の切れ口の前に立つ男二人。
光は彼等の間を抜けて、中へと進んだ。
同時に境界線が閉じられた。目の前に立っていたのは一人の女。雪の色に消されてしまいそうな彼女は、黙って歩きだした。光も黙って女を追った。

城壁の高さに対し、城は低かった。平屋で平面に広い。しかし経路は単純だった。女の後ろを歩いただけだが、説明を受けずとも、把握できそうだ。
やがて女は一つの扉の前で止まった。
ノックをして、鉄製の扉を開け、光の背中を押し中へ入れる。
そうして初めて口を開いた。
「王様、新しい召使いです。」

それだけ言って、扉も閉めずにどこかへ消える。
光はそれを足音を聞くだけで理解した。振り返って女を見ることはしなかった。否、できなかった。
入れられた部屋はこの世のどこからも切り取られたように闇一色だった。
かろうじて少年の背にある扉から入る光が、世界と繋げている。

音すら飲み込まれるほどの。

心臓の鼓動がが激しく鼓膜を打つ。

そこにいた。

狂乱の王は、そこにいた。

闇に溶けんばかりの真黒のマントを背に、大きなソファーにしなやかな体を伏せ、くっきりと浮かぶ雪肌に、綺麗な目を、鼻を、唇を、丁寧に乗せて光を見ていた。
髪は床に流れるほど長く、やはりしろかった。
「名は?」
紅をひいたように赤い唇が音を奏でた。ひたすら沈黙に張った空気を震わせ、光の耳に滑り込む。
答えようとすると未だ緩まぬ筋肉のせいで唇が震えた。
唾を飲み込むと、嫌に喉にねばついた。

「ひかると言います、王様」

再び、沈黙。

しんしんと積もる、静かな間。
少年の瞳に、美しい唇が、空にあるそれですら負けるほどの三日月を作るのが映った。

「ひかる…ひ、か、る。良い名だ」
「あ、ありがとうございます」
王様はゆっくりと光の背後を指した。
「ひかる、私には眩しい。閉めてくれぬか」
「はい」

音を立てぬよう、慎重に扉を閉じた。
真っ黒に、なった。真っ黒に。

「ありがとう」

声を振り返ると、真黒の中、不思議に彼の姿はくっきりと認識できた。





紅雪が降る国の王様は
生まれた時から

御狂乱…?


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